ぱっと読むためのもくじ
~風のように生きてきた人生~
はじめまして、うみです。
このページでは、私の人生を振り返りダメな自分がどのように生きてきたのか。
そして生きづらさをどのように生きやすさに変えていったのか・・・。
そして現在のわたしについてお伝えしていきます。
8分ほどで読めますので、ちょっとした気晴らしにお時間が許す時にご覧いただけたら嬉しいです。
子供のころ

得意なことは文章を書くこと。
興味があることはオーラソーマ(カラーセラピー)。
中学のころは読書感想文で何度か賞をとっていました。
高校のころは小説家になりたいとか新聞記者として活躍したいと思っていました。
頭のできはいわゆる平凡なわたしは大学進学を希望したものの、祖父母が続けて入院し入院が長引いたため経済的な理由もあり両親の反対で進学を諦めました。
高校3年の時のクラス担任は「大学に進学させてあげてほしい」と家まで来て家族を説得してくれました。
今振り返るとなんと優しい担任だったのでしょう。
結論としてわたしは大学進学を諦めました。
進学を諦めたわたしですが祖父母の病気を安易に考え首都圏に就職することを決めます。
就職から1年後、可愛がってくれた祖母になにもお返しをすることなく見送ることになります。
続けて祖父はその1年後に心臓発作でこの世を去ります。
わたし22歳、父の肝硬変

わたしが首都圏に住むようになって父は自分もわたしの近くに住もうと考えたようです。
神奈川に引っ越して単身暮らし始めます。
わたしの近くでわたしと過ごしたかったのではないかと今でこそ思いますが、そのころのわたしは自分のことで精一杯でした。
神奈川での生活で父は持病の慢性肝炎を悪化させ肝硬変になりました。
海上保安官の仕事はいつまでやっていたのか。
体調不良で自宅に戻った父の病状はとても悪いものでした。
「あっ、うみか?お父さん、さっき大量に血を吐いた」と自宅から何度も電話がありました。
父の病気に母も苦しんでいたようで首都圏にいるわたしをひとり尋ねることがありました。
わたしが24歳の年、父は食道静脈瘤破裂でこの世を去りました。
わたしは大切な家族が病気で苦しむとき、何の役にも立たない人間でした。
仕事を転々とする私

面接を受ければすべて合格。
職場では必要以上に対人関係に気を使う。
仕事は自分の100%で行う。
疲弊する。
辞める。面接。合格。辞める。
どこにいても自分の居場所じゃないような。
ホッとできない感じがして。
心の底でいつも人を羨んでいました。
どこにいても安心できず留まることができず。
幸せにしてもらうではなく何とかしてあげなきゃと思う結婚

わたしがなんとかしてあげなきゃと思う人と寄り添う私。
幸せになりたいからというより、なんとかしてあげたい異性とお付き合いをしました。
わたしが25歳の時、21歳も年上の男性と結婚しました。
植物のことは何でも知っていて、手先が器用で車の運転がとても上手な人。
ただ、とても神経質な人で細かいことでけんかが絶えませんでした。
お酒が大好きな人でした。
長男を25歳の時、次男を29歳の時に授かりました。
わたしは子育てに一生懸命でした。
息子たちに生きる力をつけてほしいと思い色々なことにチャレンジさせました。
ゆとり世代の息子たちは良い仲間に恵まれ、スポーツ少年団にも入ってそれなりに有意義な学校生活を送っていたかのように思いました。
夫との離婚
長男が高校2年、次男が中学2年の時にわたしは夫と離婚しました。
もう限界でした。
細かなことは書きません。
書くと全てが言い訳がましいから。
長男の様子がおかしい

中学2年の時に少し学校を休みがちだった長男の様子が本格的におかしいと感じたのは高校に入ってからです。
顕著だったのは高校3年生の頃。
就職が決まり、3月から他県に研修に行くというのに、ギリギリまで自動車学校を卒業できませんでした。
自動車学校に行かなくなってしまったのです。
学校帰りどこで何をやっていたのでしょうか。
わたしが自動車学校に頼み込んで、特別に卒業検定をうけさせてもらい合格することができたのですが、長男の行動には明らかに違和感がありました。
しかし、年齢特有の反抗期とも思えてわたしはモヤモヤとした気持ちを引きずりながら日々の流れに身を任せて過ごしました。
おそらくこの頃から統合失調症の前兆期だったのかもしれません。
この頃のわたしは職場では事務長的な役割をしていました。
頼られ、親しまれ、やりがいをもって仕事をしていました。
その後、頼りにしていた上司が退職、職場の環境が変わり新しい上司のパワハラに合い、7年近く働いた会社を退職・・・
もったいないことをしてしまったのかもしれない。
しかし、限界まで自分を追い込んで疲れ果てていました。
新しい生き方を始める

TCマスターカラーセラピスト・認定トレーナー│数秘&カラー®プレゼンター・認定トレーナーとして活躍。
子供のころ、オーラソーマのボトルの美しさに魅了されたわたしですが、このころからカラーの勉強を始め、それぞれの認定トレーナーとしても活動を始めます。
セッションや、認定講座を開講し「うみさん、うみさん」と親しまれ多くの方にセッションをさせていただくようになりました。
息子が統合失調症の急性期

息子の発症と同時に障害者支援の仕事に就きました。
折れそうになる心で踏ん張りながら、そしてたくさんの方に支えられながら、わたしは今も障害者支援員として働いています。
支援員2年目からブログでの発信も開始。
統合失調症の当事者の方やケアラーさんに向けて書くこのブログは私の宝物になっています。
障害者支援員としての仕事、カラーセラピー、数秘&カラーの仕事、そしてこのブログが誰かのお役に立てば、こんなに嬉しいことはありません。
現在、わたしは細々と田舎暮らしをしています。
息子の症状が安定している現在、わたしは以前より幸せだと感じられるようになりました。
そしてわたしは、53歳にして風のように生きてきた人生から、
地に足がついた人生を歩み始めています。
ブログでは、自分の経験してきたことを自分なりの言葉で発信しています。
そして、逃げてばかりのわたしの人生も誰かの役に立つかもしれない…。
そう思いながら今後もずっと発信を続けたいと思います。
わたしが、このブログを書いている理由は・・・
生きることに迷ってしまったら自分が元気になる方向へ歩いてほしいと考えるからです。
- 自分の考え方次第で人生は何度でもやり直せる。
- 何歳になっても資格がなくても関係ない。
- 自分の限界を勝手に決めない。
新しいことに挑戦しているあなた・・・
ワクワクすることに夢中になっているあなた・・・
困難に立ち向かっているあなた・・・
自分をダメ人間だと思っているあなた・・・
わたしはあなたを応援します。
ここまで読んでくださったあなたへ

あなたが無駄に生きてきたと思っている人生。
実はとても意味があって、無駄なんてひとつもなかったってこと。
全部繋がっていて今のあなたがいること。
痛みをたくさん経験したあなただから。
あなたの存在に救われている人が実はたくさんいるはず。
息子が統合失調症を発症したときの切なさを隠すことなくこのブログで綴っています。
あなたのお役に立てばうれしいです。
また、TCマスターカラーセラピスト・認定トレーナー│数秘&カラー®プレゼンター・認定トレーナーについて興味のある方はぜひこちらからお問い合わせください。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。