10月になりました。朝晩は涼しくなって秋の気配を感じますね。
早いもので息子が退院してから2年8ヶ月が過ぎました。
息子は大きな不調もなく今日は温水プールへ出かけていきました。
約1年間通い続けた就労移行支援事業所への通所を辞めた息子は、たまに就労支援員とハローワークに行っていますが、次の一歩を踏み出せずにいます。
わたしはと言うと今日は楽しみにしていた休日でしたが、疲れが溜まっているせいでしょうか。
やる気が起きず、ベッドで横になりながら8時半頃までオーディオブックを聞いていました。
仕事疲れもありますが、息子のことで心配事が多いのも影響していると思います。
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スロット?どこへ行くのかはっきりと言わない息子が心配!
「この頃はよく眠れるよ」と息子は言います。
朝リビングに下りてくる時間はだいたい7時半頃、8時過ぎまで眠っていることはほとんどなく、食事を済ますとシャワーを浴びてどこかへ出かけていきます。
今日みたいに温水プールに行くときは、そう言って出かけますが、たいがい何も言わずにどこかへ出かけていきます。
「どこかへ出かけるの?」と聞いても「うん。」と返事をするだけ。
そしてしばらくすると玄関から「行ってくるわ」と息子の声が聞こえます。
(今日もスロットかな…)
でも例えスロットだとしてもわたしは何も言わないし止めることはしていません。
息子の人生ですし息子の納得のいく1日を過ごせばいいと思います。
わたしが焦って何かを押し付けたところで当然息子は楽しくないし、息子がイライラしているとわたしも安心できません。
就労支援員からの電話に戸惑うわたし│息子の発熱とPCR検査
息子さんの調子はどうですか?熱は下がったようですが体に痛みがあるようですね。
わたしは仕事が休みだったので自宅で家事をしていましたが、午後2時過ぎにあった就労支援員からの電話に面食らってしまいました。
(今朝、息子は面接だと言って出かけて行った、あれは嘘だったの?)
熱って、わたしは聞いていませんが息子がそういったのでしょうか?
就労支援員に返答しながらわたしはがっかりしていました。
就労支援員の話では、前回の面接は息子の都合で延期になっており、今日も熱があると言って中止したということでした。
電話を切った後、もやもやした気持ちでいると息子は普段と変わらぬ様子で帰宅しました。
就労支援員のMさんから電話があったんだけど熱があるって本当?
わたしが尋ねると、息子は悪びれる様子もなく今日PCR検査を受けてきたと言うのです。
PCRのことももちろんだけど、熱があったのはいつ?お母さんが仕事でたくさんの利用者さんと関わっていること知っているでしょ。
さすがに、今日はちゃんと報告するつもりだったよ。言わなかったのは色々とめんどくさそうだったから。
面接だと嘘をついたこともそうですが、それより熱があったことや何も言わずにPCR検査を受けていたことにわたしはショックを受けました。
熱を出したのは週末で、彼女のアパートに泊まっている時でわたしとは3日ほど顔を合せなかったことも事実ですが、朝食は一緒に食べたし会話もしていたのに。
取り急ぎわたしは職場の上司にそのことを伝え、PCR検査の結果は明朝に分かる事を報告し、息子の就労支援員にお詫びとお礼の電話を入れました。
その夜はなかなか寝付けずにいましたが、翌日朝早く、医院から陰性だったと電話があり胸をなでおろしました。
わたしは息子に体調が回復したタイミングでなるべく早くワクチン接種の予約を取ることを促しました。
息子が自分で予約を取るまで見守るつもりでほおっておいたワクチン接種の書類を開き、息子がいつも食事するテーブルの前に広げました。
わたしは泣きだしてしまいそうな辛い気持ちになりましたが、深呼吸をして気持ちを立て直しました。
就労移行支援事業所から息子の支援会議について提案
約1年間通い続けた就労移行支援事業所への通所を辞めた息子ですが、就労支援員とは時々会って近況報告をしています。
先日も就労移行支援事業所に出向いて面談を行ったようですが、その時、普段は余り関わることのない施設長に息子は就労に対する考え方の甘さを指摘されたようです。
施設長は強い口調で厳しいことを息子に言ったようで、その日就労支援員が心配して私に電話をくれました。
そして、しばらくすると施設長からも同じ内容の連絡があり、今月早々に息子の支援会議を計画しましょうと言う流れになりました。
わたし1人では何もできないので、就労支援員、相談支援専門員、市役所の福祉職員が集まって息子について考えてくれるチャンスには本当に感謝します。
ただ、息子がその気にならないと先には進みません。
この1年はできるだけ色々な仕事を、まずは実習先で体験させてもらおうとわたしは息子に伝えています。
焦っても仕方ありません、息子の人生を息子が納得するように生きればいいと思います。
みんな失敗して覚えていくし自分で決めたことなら失敗しても人のせいにはできません。
わたしも不器用な人間ですから息子に対して偉そうなことは言えません。
自分の人生を生きながら必要とされた時に息子に寄り添う姿勢
2019年の1月に統合失調症の疑いで初めて入院を経験した息子はその数日後に適応障害と診断され退院することになりました。
あの日から2年と8ヶ月が過ぎました。
退院直後は、多くの症状が残っている息子をひとり置いて仕事に行く事が不安で不安で仕方ありませんでしたが、母子家庭のわたしは仕事をしなければ生活ができない環境でした。
その時勤めていた正社員の事務の仕事は残業や出張が多いため退職をし短期の派遣の仕事をしながら日々を繋いでなんとか生きていました。
その後、運命的な求人募集との出会いがあり、わたしは障害者支援員の仕事に就くことになります。
ここでは、本当にたくさんの研修や会議に参加させてもらい多くの知識を習得させていただきました。
そしておかげさまで現在もこの仕事を生きがいに生きています。
息子はと言うと、退院直後から温水プールに通うことを日課にして通い続けました。
そしてプールに通うお年寄りの方に本当によくして頂き、手作りの焼き菓子やお刺身など頂きものをして帰ることがよくありました。
症状が残っており大変な時期でしたが本当にたくさんの方に支えてもらい生きていたことを思い出します。
病状が安定すると息子は自分の意志で就労移行支援事業所に見学に行き、通所を決め、ここではお菓子やパン作りなどの仕事をしました。
気の合う仲間もできて、仲間の体調を心配したり、週末には仲間と外食を楽しんだりしていました。
この時わたしはその様子を見てとても嬉しく安心していました。
ところが、その仲間は就職の支援をしてくれない事業所に愛想が尽きて退所してしまい、息子も同じ気持ちで退所を考え始めます。
そして、現在にいたります。
息子27歳は統合失調症寛解│この病気が完治することへの期待

わたしは健康に気を配り生きています。
体調不良があればすぐに病院を受診するし、年に2回は健康診断をして隠れた病気がないか気にかけています。
可能な限り健康を維持し続けながら支援員の仕事を続けたいし、息子をそっと見守りながら生きていたいと思います。
しかし死なない人などいません、いずれわたしもこの世を去ることになります。
わたしの亡きあとも息子は、多くの人と関りを持ち、助けてもらったり、そして誰かを助けて生きて行くのだと信じています。
しかし息子は統合失調症と言う障害を持っています。
統合失調症と言う病気は完治という言葉は使われません、良くなっても寛解と言う言葉止まりです。
寛解と言うのは、症状の一部またはすべてが軽快した状態であり、見かけ上、消滅して正常な機能にもどった状態。
病気が完全に治った状態を治癒(完治)というが、寛解は再発の可能性を否定できない疾患の治療の有効度について表現する際に用いられます。
わたしは、完治と言う言葉に期待をかけて生きています。
統合失調症の治療法に関する研究も進んでいると思うし、可能ならわたしが生きている間に完治する病気になってほしいと期待しています。
もしかしたら、わたしの生きている間には叶わないかもしれないけれど、息子が生きている間になるべく早い段階で完治する病気になってほしいのです。
そして、予防方法も解明され、この病気に苦しむ人が一人でも減ってほしいと心から願います。
わたしが生きている間にこの夢を叶えられなかったとしても、いずれ誰かの手によって叶えられる。
そしてその夢を叶えるように訴え続けていくのは今を生きる私たち、だから負けないで信じて期待し続けようと思います。
統合失調症の予防方法が解明されること、そして統合失調症の完治を信じたいです。
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